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地球科学の研究をしながら普及についても考えています。育児も。
by cony_keyco
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3月11日のこと

ブログやめたのかっってほど書いてなかったけど、そういうわけでなく、なぜか書けなくて・・・。
2月末から何かとバタバタしてたってのもあるけど、やっぱ地震でしょう。地震や津波の映像を見たり話を聞いたりするだけで、キョーレツに悲しくて、どうにもならない。夫はボランティアに行ったけど、私は働けないなと思う。
宮城県では多くの犠牲者がでてしまった名取とか荒浜とか、地震前の風景しか思い出せない。津波などの映像を見ると気分が悪くなってくる。私もなんらかの精神疾患に近いのかも。だけど、そんなことも言ってられないし、将来もこの震災を覚えておいて客観的に考えることが必要だろう。そう思って、身の回りで起こったことをここに書いておくことにした。誰に向かって書くわけでなく、自分の記録として。

3月11日は、夫の引っ越しの日だった。私たちはそれまでは別々に暮らしていて、これから同居しようとしているところだった。夫のアパートに行って荷物を片づけて、部屋に何もなくなったと思ったら、揺れ始めた。かなりゆらゆらと。
高速道路が近くて日常的に揺れているので、最初はなんだか分からなかったけど、やっぱ地震か、と認識したのは数秒経ってからだったと思う。途中、立ってられるか?と思って足をふんばってみたけど、揺れは立ってられる程度のものだった。地盤がしっかりしている土地だったのかも。

揺れが収まったら、島根から電話がかかってきた。東北に住んでた時の友人だった。彼女はかなりテンパってて、「仙台の人たち大丈夫かな?」「宮城県沖地震かな?30年経ってるし」「電話しても通じないんだけど」と、矢継ぎ早に、訊いているような、なんだか分からない口調で続けてきた。そうは言ってもできることはないので、メーリングリストで情報を共有することにして、ひとまず電話を切った。

大きい地震の後はそれなりに不安だけど、引っ越し作業の続きはしなくてはならない。引っ越し会社の人も気の毒だけど、お互いにしょーがないって感じで、転居先へ移動。
転居先は近くだったので私たちも車で移動した。アパートの近くでは停電していない。ラジオでの情報も限られるので、私はラジオと同時に助手席でtwitterをチェック。意外と情報量が多いことに気付いた。文字になると後ろをたどれるし、情報源が複数あるので、一つをうのみにする必要がないのが良いところかと思った(あとで、デマが多かったことも知ったけど)。
ラジオやtwitterで、仙台空港に津波が押し寄せているとか、名取ではかなり内陸まで津波が到達したとか聞いたけど、訊いただけでは想像できない。昔見た名取の風景が目に浮かぶだけ。
移動の途中、信号機が次々に消えていった。夫が「ここも消えてる・・」と時々つぶやく。さらに、引っ越し先は海の近くなのだった。不安がつのる。でも引っ越し作業は待ってくれない。

新居(私は先に引っ越しを終えていた)は、棚から落ちているものなどはなく、揺れなかったの?という感じだったが、しかしやはり停電だった。隣に住む大家さんがろうそくを持ってきてくれて、「食べ物はありますか?」と心配してくれた。ろうそくや懐中電灯(というよりヘッドランプ)はすぐに出てきたし、ガスは使えたので、自力でなんとかなった。
ただ、搬入作業は暗くなる前に終わらせなくてはならない。
6時ころになり、うす暗くなってきた。ほぼ終わったかに見えた引っ越し作業だったが、持ってきた家具の組み立てに手間取った。組み立ててくれたのはありがたいが、暗がりの中の作業ははかどらない。
やっと作業が終わったら、まっくら。とりあえず、ろうそくとライトであかりをとる。

つづく
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by cony_keyco | 2011-05-08 21:01 | general
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